【あなたといる私が好き】相手から献身が受けられないから愛せないという悲しさ。

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ナオコです。

毎日暑いですね…夏、といえば恋の季節。

30過ぎて思うのですが、素敵な人が多いですわ。

「好き=付き合う」がゴールになると疲れるよね。

気になる人が出来ると、
その人をどうやって手に入れようかと

こちらのサイトも含め
数多の恋愛テクニックを駆使して距離をつめようとする方も
いらっしゃるのではないでしょうか?

って、他人のことを言いながら
ナオコもここ数年、唐突に湧き上がる結婚願望に駆られて
テクニック本を読み漁った経験がございます。汗

でも、プロセスやテクニックを意識しすぎて
“自分じゃない女”を演じているようで苦しいことありませんか?

私は苦しかった。
そして、テクニックで落とした男は、手に入れたら色あせる。
まさに打ち上げ花火のような恋。

自分じゃないものを演じて
目の前の相手と「お付き合いする」状態を手に入れるのは苦しかったのです。

そんでさらに、そうやって付き合ってる人が居るのに
素敵な人がまた現れてしまうというジレンマ(滝汗)

そんなナオコの昨今の悩みに、一筋の希望を与えた本を紹介します。
今日は先月の「多重人格のススメ」という記事の元ネタになった本です。

平井啓一郎さんの『私とは何かー個人から分人へ』

この本の中に、恋と愛についての違いが書いてありました。

ざっくり要約すると

恋というのは、
誰かを好きになったら恋をして運よくお付き合いが出来れば、

見た目を磨き、やさしい言葉を掛けて、
自分が相手のことをどんなに愛しているかを表現し続ける。
でも、これは自分が愛する分だけ、相手も愛してくれる
という双方の献身が釣り合っている状態を理想とするもの。

ほんとね、
そういう恋の行為としての双方向性は
最初のうちは嬉しいけれど、何年も関係を継続させていくうえでは
辛くなってくるんじゃないかと思う。

(中略)

相手と一緒に居るだけで、相手がどうであろうが、勝手にこっちが嬉しい。

持続する関係とは、相互の献身の応酬ではなく、
相手のお陰で、それぞれが、自分自身に感じるなにか特別な居心地の良さなのではないだろうか?

 

この後の文章も、非常に考えさせられることが多く
とくに20代のナオコは、素敵だな~と思うと

「どうやって彼を手に入れるか」ということを、超戦略的に考える肉食だったんですが

躍起になっていましたが、

最近のナオコは、愛する人を思うだけで満足。
あの人を思っているだけで、優しい気持ちになって、そんな自分が好き。

という状態になりました。

彼氏が居たら、ほかの人は好きになっちゃだめー!という枠が取っ払われました。
ゆえに愛する人が沢山居ます(笑)

 

「あなたと一緒にいるときの私が好き」

愛を、この本の文脈で言い換えると
「その人と一緒にいるときの自分の分人が好き」ということ。

つまり他者を経由した自己肯定の状態、と言い換えている。

好きな相手を自己肯定の道具にする、って感じで
否定的な印象を持つ人が居るかも知れません。

でもね、長く一緒にいたい、もっと一緒にいたいと思える人って
その人と一緒に居るときの自分が心地よいかどうか、
その自分を好きだと思えるかどうか、じゃありませんか?

長い期間一緒に居て

相手から献身が受けられなくなったら
愛情が冷めるとか、腹が立つとか、喧嘩をしてしまって
自分が嫌いになっちゃう、というのなら
一緒に居る意味はなんだろう。

喧嘩をして、相手に何か指示や命令や、
お願いという形で献身を引き出さなければ愛情の確認が出来ないというのなら

相手を思うだけで
優しい気持ちも、親切心も、愛情も湧いてこないんだったら

その人と一緒に居ることは害悪ですらあるんじゃないか?
とナオコは思った次第です。

所有しない愛、を楽しめる女でいよう

ま、どんな形でも、自分が納得できればいいと思います。
でも、あなたにはちゃんと、自分を好きで居てほしい。

生き心地のよい自分、であって欲しいなって思います。
それでは、またね~♪

この記事を書いた人

ナオコ
ナオコ
ベンチャー企業で働くアラサーOL/独身。
“まずは何でもやってみる”が信条。
何でも~が高じて現在は3つの仕事をしている。
趣味は読書。好きなタイプは西郷隆盛。

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