ていうか、そもそも、愛ってなんやねん?愛を語る。【前編】

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おせっかいですけど。こにくです。

こんにちは!

最近、低迷が著しい、某最大ハンバーガーチェーン。
先日は「ワタシら、誠実にいっしょけんめやりますんで、ほんまによろしゅう頼んます。」的なCMを放映されておりました。

こにく、これ観て思っちゃったのだけど、
こんだけ健康志向の日本において、それの大敵であるジャンクフードの王様みたいな存在のハンバーガーをメインにして商売してること自体にそもそも無理があるよなと。

学生であるならいざ知らず、社会人になってそないにみなさん行くこともないんじゃないでしょうか。

ここは思い切って、生き残るためにおにぎりとミソ汁と漬け物とかのセットを
売り出した方がいいんちゃうかと、おせっかいながらこにくは思っちゃいました。

さてさて。

こにくは、このコラムにて、ことあるごとに愛や愛やと言うておりますが、
「そもそも愛ってなんやねん?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんね。

もしくは、「お前が愛を語るなっっ!」って、思ってはる方もいらっしゃるかも(汗)。

しかし、こにく、根はまじめなもんで、
けっこう日常的に考えてしまうわけです、愛とは?と。

というわけで、「ほな、愛ってなんやねん?」というところを、
こにくなりの目線で、ちょいとまじめに本日は語ってみたいと思います。

ありきたりだけども、基本的に一言では表現出来ない

と言いつつ、いきなりひっくり返しちゃうけども、
「愛」っちゅーのは一言では言い表せません。

適切に言い換える言葉が存在しない。

でも、「愛」のいち要素である言葉は、たくさんあります。
たとえば「優しさ」とか「誠実」とか「見守る」とか「理解」とか「許し」とかとかとか。

でも、どれも愛の一部でしかない。

愛っちゅーのは、言葉にしてしまうと、とたんに薄っぺらくて意味の無いものになってしまいます。

そして、愛っちゅーものを言葉にしてしまうことによって、
自分が定義した「愛」の枠に捕われてしまうこともありますね。

愛は、そのときそのときで、姿を変えます。
時に優しく、時に厳しく、そして時には一見傷のように見えることもある。

人に必要な愛のかたちは、状況しだいでいくらでも変わります。

「これが愛」と決めつけてしまうと、
状況によっては必ずしもそれが正しいと言えないことも多々ある。

だから、言葉で愛を表現するっていうのは、けっこう無理があるし、
危険な作業なのです。

せやから、愛ってなんやねん?

じゃー、こにくがさんざっぱら「愛」と言うておるもの、
それ何やねん?というと、
愛というのは、こにくにとっては「いまここにそれがあるかないか」を感じるもの、という感じ。

この自分の行動には相手に対する愛があるか。
この自分の言葉には相手に対する愛があるか。

もちろん、こんなこと、日常の行動すべてに当てはまるわけではないのだけど、
大好きな人たちや家族に対しては、なるべく愛が「ある」ように在ろうと、
思っておるのです。

言葉や行動で、なにかを「する」ときもそうだし、なにかを「しない」ことも、
愛があるかないかが基準になるときもあります。

「いまここに愛があるか否か」で考えたとき、
しないほうが「愛」なこともありますね。

たとえばそれが彼氏とかだったら、
仕事が忙しすぎていっぱいいっぱいなときは、
連絡「しない」ことが愛かもしれないし。

たとえば友達だったら、その人の選択を尊重するために
アドバイスなんかは「しない」ことが愛かもしれないし。

こんなふうに、どんどん愛の姿は変わります。

そして、「愛に見せかけて愛じゃないやつ」っていうのも、
いっぱいありますね。

「愛」っちゅーことばにかこつけて、全然愛じゃないものを
押し付けてくる奴らは、います。

そんな奴らからは、全力で逃げんとあきません。

こにくの判断基準

そんななかで、こにくがすごく意識していること、
自分でも他人でも、「これは愛なのか?」ということを判断する基準っちゅーのは、あります。

それはいろいろあると思うのだけど、
こにくがよく思うのは、
基本的に「重い」のは愛じゃない、ってこと。

相手の気持ちが「重い」とか
相手を思う自分の気持ちが「重い」とか「濃い」とか、
これらは、きっと愛じゃありません。

「重い」気持ちは、自分も相手も、苦しめるよね。
それは絶対、愛じゃない。

愛っちゅーのは、人を温かい気持ちにさせたり、自由にしたり、
勇気づけたり、自信をつけさせたりすることはあっても、
人を悩ませたり、苦しませたり、憂鬱にさせたりすることはない
、とこにくは思っています。

あなたが大好きな人にしていることや伝えている思い、
それらは「愛」の皮をかぶった「依存」とか「執着」とかじゃないですか?

「依存」や「執着」は、
わりと「愛」と混同されてることが多い要素なんじゃないかってこにくは思う。

それはしっかり見極めなあきません。

自分の言動を見張ることはもちろん、
周りの自分に対する言動も。

そうすると、びっくりするくらい「愛と見せかけて愛じゃないやつ」が多いことにみんな気付くんちゃうかなとこにくは思います。

それに気付いてしまうと、
「自分って、全然愛されてなかったんだ」と、落ち込んでしまうこともあるかもしれない。

しかしそれでいいのだ

こにく、大人になってから、実はありました。
こにくの場合は、母親だったのだけど、
それまで、厳しくも愛らしい母親が大好きで、
過保護で愛情過多で心配性なところに多少うんざりしつつも、
仲良し親子だと思っておったのです。

しかし、とあるきっかけで、ほんの些細なことなのだけど、
「この人全くアタシを理解してない」と、痛感してしまう出来事が。

そのときこにくは、仕事で心身ともにかなりボロボロになっていて
だいぶセンシティブになってましたので、
何気ない母親の言葉に、えらい深く傷ついてしもたのです。

その言葉は、今思うとあまりにも普通の慰めに過ぎて、
ここでお伝えすることもはばかられる恥ずかしさ。

母親とて、こにくの気持ちを少しでも軽くしようと言ってくれたにすぎないのだけど、
それはでも、あまりにも状況からするととんちんかんで、
当時のこにくは、その些細な母親の一言で、
自分を保っていた心の支えがすべてぶち壊れた感じでした。

「自分を、自分以外で一番長く見つめて来たであろう母親が、
こんなにも自分を理解してくれていないのか」と、愕然とした感じ。

そこでこにくは思った。
「自分は愛されてると思ってたけど、そうじゃなかったのかも」と。

当時20代後半。

ええ大人、というほど成熟はしていないけど、
でも決して子供でもない、そんな時期かなぁと思うけど。

そこで初めてと言っていいほど、自分と母親、そして父親との関係性を
考え直したもんです。

でもだからこそ、わかった。

「愛」とかって、当たり前にあるもんじゃないのだなと。
理想論で言えば、誰にも充分に当たり前にあるべきもので、
それによってアタシたちは生かされてるのだけど、
必ずしもそれって、「『愛』オンリー」じゃないのだなと。

多くの場合、「愛と、愛と見せかけてそうじゃないやつ」のブレンドされたもんばっかりです。

こんな偉そうに書いてるこにくだってそう。
生粋の「愛」だけで、生きれてるわけない。

でも、だからこそ、生きていく意味があるよね。
アタシらは、「愛」と、「愛と見せかけてそうじゃないやつ」の比率を
すこしでも生粋の「愛」寄りになるように、
日々学びながら、いろんな経験しながら、生きとるんやなと、こにくは思うわけです。

生きる意味っちゅーのは、そこらへんにあるのだなとこにくは思います。

それは、オトンもオカンも、あの子もこの子も、ムフフな彼も、
一緒です。

年齢性別は本当に関係ありません。
年齢を重ねたからって、自然に得られるものでもないし。
「愛」は、それを学ぼうという能動的な姿勢が必要やとこにくは思っとるのです。

みんな、基本、どう頑張っても、一生のうちでは
「愛と、愛と見せかけてそうじゃないやつ」のブレンドされたもんでしか
「自分なりの愛」は表現できません。

それを、生粋の「愛」に寄せていくことを学ぶのが、
人生っちゅーもんなんじゃなかろうかと、こにくは思います。

そう、そのために「自分は愛されてなかった」と、
これほど怖い真実って無いかもしれないけど、
でもそこに気づいたとして、その対象となる相手を許す、ってことも、
愛のうちのひとつやとこにくは思う。

今日のまとめ。

愛が何かって、定義したり言葉にしたりするのって
難かしいしナンセンス。

それを、体で覚えて、経験を通じて、学んでいくのが、人生っちゅーものやと思う。

その中で、自分が愛やと思ってたものがそうじゃないって気づいたとき、
それは辛いかもしれへんけどでも、けっこう大きな一歩やとこにくは思います。

まだまだ若輩者のこにくやけど、
自分なりの基準は、「とりあえず重いのは愛じゃない」ってことね。

愛は、軽くて、人をとっても自由にさせるものやねん。

でももひとつ、こにくが「愛」を推す理由があります。
それはまた次回

プハー!
めっちゃ真面目に語ったし!

っちゅーことで、一杯飲みにいきます。

では、また!

この記事を書いた人

こにく
こにく
遅咲きモテ系30代・広告クリエイティブ職のわりと肉食な女。独身。
お酒と仕事と下ネタと、人生を豊かにしてくれるカルチャーが大好き。
もと「こじらせ」で小デブ。関西在住。
愛と笑い溢れる世界になるように、今日も空きっ腹でビールをイッキ飲み。
一番大事なものは健康。

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4件のコメント

  1. こにくさん、難しいっす。
    こんにちは、びーるです。
    こにくさんの今回のテーマを読んでいて、自分のこれまでを振り返ってみました。
    『愛』ってたとえ口に出さなくても、自分にとっていいように、言い訳につかってたかもしれないなぁ、と。
    常に相手と(恋愛関係じゃなくても、ひととして)対等でいたい自分にとって、まぁ、それも言い訳かもしれませんが、見返りを期待しちゃうのかもしれませんね、愛だろ、と。

    だから、いつかこにくさんが言ってた、「仕事頑張ってね」と言いつつ、次いつ会えるの?いつ会う気でいるんだ?コノヤロー、というプレッシャーを与えてるのは、おっしゃる通り、「私、理解あるのよ」を見せかけて、結局自分防護なんだってことでした。
    長くなりましたが、結局「愛」は難しい。
    私的には、愛は情があって初めて成り立つ気がしてます。愛だけだと、浮きたってしまうんですよね、って言葉のニュアンスだけかもですが(笑)
    後編楽しみにしています。長々すみません。

    • こにく

      びーるさん!ありがとうございます。
      このガチ「愛」がテーマのコラムに関しては、こにく自身ももちろん模索中の案件でして
      なぜこんな、無謀とも言えるお題を語ったのかっちゅーのは、後編で述べられるのですけども。
      ただ、言葉としてどんな表現であれ、自分と相手と、自分を巻き込むすべてのみんながあったかい優しい気持ちになる、これすなわち「愛がある状態」なのかなとこにく、思うのでした。

  2. 難しいっす。やっぱり。
    またまたお邪魔します、びーるです。
    ひとの気持ちは変わるから。それは仕方ないことだけれど。
    その時は幸せで『愛』を感じてた行動や思いも、気持ちが変われば『重い』ってなるじゃない。あ、結果それは勘違いで元々『愛』ではなかったのか。
    それは辛いなー。凹むなー。
    互いの気持ちの変化に気づかなかったら、相手にとっての『愛』も変わるのでしょうかね。
    っていろいろあってうだうだまた『愛』とやらに悩んでみました。
    難しいっすね。長々と失礼しました >_<

    • こにく

      びーるさん!
      コメントくださってたのにお返事出来ずでごめんなさい!!
      「互いの気持ちの変化に気づかなかったら、相手にとっての『愛』も変わるのでしょうかね。」
      >そうだと思います!
      人の気持ちも、状態も、お互いを思う気持ち(テンション)も、刻一刻と変わるとこにくは思ってて、だからそれを大事な相手なら(男女問わず)いっしょけんめーおっかけて、ええ感じになるように、常にバランスとらなきゃいけないよなー、と、思ってるんですよー。
      それが自分にとっても、心地いい。
      最初は愛だと思ってても、それは依存に変わったり、ただの「興味」に変わったり、いろいろね。
      だから、そのために、大好きな相手だからこそ、依存や甘えは禁物なのですなー。
      それは愛とは対極にあるから!
      でも「愛」問題は一生もんです!こにくもねー!!

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