【Book Review】「暇と退屈の倫理学」に学ぶアタシらの「モヤモヤ」の正体

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From the journals of me!だよ!こにくです。

こんにちは!

本日は、長いこと眠らせておりました、
(勝手にに作った)「こにくを作ってきたもの」シリーズ「From the jouinals of me!」
(やっと)第2弾。

本日は本のご紹介。

こにくのコラムを読んでくださってる皆様の中には
「こいつ理屈っぽいな」「話なげーな」とお思いの方もおられましょう。

スミマセン。それはこにくの長所でもあり短所でもあるのでございます。

そんな理屈っぽいこにく、なぜかって「哲学」とかが大好きなのです。
どんなことも「なんでなんやろ」「なんでこうなるんやろ」「あたしはなんでこんなふうに思うんやろ」「あの人はなんであんななんやろ」と、
なんでなんで??の問いかけが止まらんのですな。

当然、答えが出ないからなぜと問い続けるのですけども、
そこになんらかの納得いく答えがほしいと思うのです。

それまさに「哲学」。
こにくのノンストップの思考回路を、納得させて落ち着かせてくれるのって、
けっこう哲学や哲学的思考によって導き出された答えだったりするのです。

やっぱり「わからない」ってストレスなので。こにくにとっては。

そんな中、最近のもっぱらのこにくの「哲学」はというと、

「やらなあかんことはいっぱいあるのに退屈やわ。」
「忙しいのに満たされへんわ。」

ってことでした。

そんなさなかにふと見つけた、ドンピシャの良書、
それが今回ご紹介したい「暇と退屈の倫理学」

著者は、大学で哲学を教えておられる先生、國分功一郎さん
今回はじめて知って、読んだのだけどもう、こにく的にはすごく刺激的な読書体験でした。

もちろん、平易な言葉遣いで書いてはあるのだけど、
内容は幾重にも折り重なった、たっくさんの哲学者たちの知恵と思想が波打っているので、
相当の集中力を要したんやけど、それでも、こにくのいろんなモヤモヤをいっきに解決してくれる示唆に富んでおりました。

内容は、「暇」と「退屈」を、
歴史学、社会学、経済学、人類学、人間学、生物学、そして哲学と、
いろんな側面から論理立ててじっくりゆっくりたっぷりと教えてくれる名著。

出典も明確になっている多くの哲学者や思想家の文献を引き合いに出し、
國分先生の言葉で言い換えて伝えてくれて、
かつ、鋭いツッコミも差し込んできはる。

まさに、読んでいる最中は「そうか!そうなんや!ほんまや!」と
膝を打ちたくなることばかり。

「読書体験」って、まさにこういうことを言うんやろうなぁ。

そんな「暇と退屈の倫理学」、
読み進めるうちに「恋愛」や「仕事」とも密接な関係にあることもたくさん出てきました。

なので、こにく的に刺さったキーワードを少しご紹介したいと思います。

退屈とは、事件が起きる気持ちがくじかれたものである

これはラッセルという哲学者の言葉。
ここでいう「事件」とはなにか?
それは、
「今日を昨日から区別してくれるもの」のこと。

人間は、同じことを繰り返すことに耐えられない。
だから「事件」を望む。それが叶えられないと「退屈」してまうと。

ナルホド!

しかしっ!ここでポイントなのは、この「事件」には「良い/悪い」がないってこと。
内容はなんでもよく、「今日を昨日から区別してくれ」さえすればいいってこと。

そうやよね、不幸のどん底に落ちてしまう出来事も「事件」やもん。
今生でこにくは2度の大きな震災を目の当たりにしたけど、
あれはまさに「事件」。
それぞれ、あの日までと、あの日からは、まったく違う日本になったと思うもん。

幸福な「事件」ばかりではないからこそ、
「退屈」って幸せなことなのかもしれへんよね。

消費と浪費

ボードリヤールという哲学者・社会学者が「消費」と「浪費」を
面白い理論で定義付けてたんやって。
かいつまんでこにくなりに説明すると

「浪費」…与えられるものは「もの(商品、物質)」。たくさん与えられれば、上限があって、上限に達すれば「満足」するもの。

例)食事。どんだけお金があっても、満腹になれば、病気でなければ「満腹、もういらん」ていう上限がある。ここにあるのは「満足」

「消費」…与えられるのは「観念(思想、無形の価値)」。たくさん与えられれば与えられるほど「もっといいもの!」となる無限ループを引き起こすもの。満足することはない。

例)話題のレストラン。行くことによって提供されるのは食事だけど、
でもそこで人が得るものは「話題の店に行った」という「見栄」とか「ステータス」。これらの無形の価値は、完成形となるものをだれも定義できず、どんどん新しいもの(ここでは新しい話題のレストラン)が出てきてしまうので「もうこれ以上いらない」という満足がない。

いまアタシたちが生きてる社会はまさに「消費」の社会。
それすなわち資本主義。

ほんで、無形の、定義できないものを、どんどん煽って人々を消費に駆り立てるのが「広告」。

つまり、次々に「新しい価値」なるものをアタシたちは提供されて、
一生満足できないようにされてるねんなー。

だって、満足しちゃってみんながものを買わなくなったら、
この資本主義の日本は成り立たへんもんね。

この「消費」の思考は、あらゆる「モノ」は言うに及ばず、
「仕事」「恋愛」「自己実現」「自分探し」「個性」なんていう、
「コレ」とはっきりゴールが定義できないあらゆるものに蔓延してる。

そう、こにくたち、「一生満足させてもらえない世界」に生きているのだ。

そら、どこまでいってもどこまでやっても、満たされへんわ。

でもきっと正確には「満足しちゃいけないような気にさせられてる」んやろうな。

だからこそ、満足するためにアタシたちは「消費」じゃなく「浪費」せなあかん。

すなわち、自分の満足は自分で決めるっていうことやよね。

まあしかし、多くの人に、モノを売るために「いまのあなたで満足しちゃいけませんよ!」っていう観念を振りまきまくる仕事=広告屋を長年しているこにくですが、
これ、現場ではっきりと消費者を煽ってる自覚、(ぶっちゃけ)あったけど、皮肉なもんやなー。

みんなもあんまり広告とかメディアにはおどらされへんように、気ぃつけてね。

環世界

「環世界」という言葉を知ってますか?
こにくは初めて知りました。

これは、ユクスキュルという理論生物学者が唱えた概念。

環世界とは何か?
これ、ざっくり言ってしまうと
「あらゆる生物は、それぞれが違う世界と違う時間軸を生きている」っていう概念。

國分先生は、ひなたぼっこするトカゲを例に、説明しておられました。

それをこにくなりにさらに雑に噛み砕いて言うと、

トカゲが岩の上で日向ぼっこしてる。
アタシら人間は、それを「ああ、トカゲが岩の上で日向ぼっこしてるな」と思うけど、
それは事実を正確にとらえたことにはならない。

トカゲ目線で考えなあかん。
そのトカゲの生きる世界では、のっかっている岩は、ただの「地面」であり
照らしてくれる太陽は、ただの「熱」に過ぎない。
たぶんトカゲは「ああ、岩の上でひなたぼっこするのは幸せやな〜」とは、思ってない。

同じ空間、同じ時間を共有したように見えても、
起きている事実はひとつなのに、
その「世界」を捉えている主の目線を変えると、
世界はまるで違ったものになる。時間軸さえ変わる。

似た言葉で言い換えると、「事実はひとつだけど、真実は人の数だけある」ってとこでしょうか。

これ、ユクスキュルはダニを例に説明していたんやけど、
こにく、これ、充分人間そのものにも言えるよなって、思ったのです。

そう、ムフフな彼たちね。
全員が全員、こにくの思い通りに常にウッキウキな状態なわけではもちろんない。
ましてや、才能豊かな超多忙な奴らばっかり。
会えない時間は多いです。

一緒に過ごしたり連絡を取り合ったり、
共有している時間はあっても、きっと見ている世界は別やよなって、思ってんなー。

よく考えると当たり前なんやけど、これ、恋する女は忘れがち。
「環世界」をちょっと緩めて表現するならば「相手の立場になって考える」になるかなと思うんやけど、
それだけじゃなく、もっと感性研ぎすませて「環世界」をワープしたいとこにく、思いました。

幸い、この本では「人間は環世界のワープが超得意」って書いてあったから、安心してんけど。

たぶん、人間同士でも「環世界」が同じ人はいないと思う。
どれだけ一緒にいても、彼とこにくの見ている世界が完全に合致することはない。

そう考えると、ちょっと悲しい反面、
完全なる共有ができひんからこそ、求めちゃうんやろな、と思ったりするし、
この「環世界ワープ力」が高まれば高まるほど、
恋愛における苦しみはなくなるなと、こにく、思ったのであります。

暇と退屈を生きることがすなわち人間らしい「生」である

はい。
この本では、最終的にこんな結論で結ばれておりました。

オチ言うてしもてええんかい!と突っ込まれそうやけど、
なぜそうなのか、ってことは、ながーい文脈の中でしっかりたっぷり語られていて、
この本においては、結論を先に知ってしまうことにはさして意味がないと書かれてあります。

著書のなかで國分先生は
「最後のまとめだけを読んでわかった気になることは無意味で、自ら通読し、そして得られたことを自分なりに理解して『分かる』→『分かるとはどういうことかが分かる』という体験をすることが大事
という趣旨のことをおっしゃってます。

うんうん、そうそう。

この「暇と退屈を生きることがすなわち人間らしい『生』である」ということを、
自分で咀嚼して「そうか!」ってハラ落ちすることほど快感はないな、と
こにく、思うのです。

こにくが哲学好きな理由はここにあるねんなー。

ほんで、「暇と退屈を生きることがすなわち人間らしい『生』である」ゆえ、
じゃあアタシらはもう、一生満足いく人生を歩まれへんのか?っていうと、
もちろんそんなわけない。

その答えと希望も、この本は指し示してくれています。

そこはぜひ、ご自身で「ハラ落ち」の快感を味わっていただきたい!

長くて多少難解やけどでも、
哲学好きな人や、なんとなく満たされない、モヤモヤ、イライラしてる人には
とてもエキサイティングな読書体験になること間違い無し。

「わかる」って、「快感」やねん。

では、また!

暇と退屈の倫理学
暇と退屈の倫理学 単行本(ソフトカバー)
國分 功一郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/425500613X

この記事を書いた人

こにく
こにく
遅咲きモテ系30代・広告クリエイティブ職のわりと肉食な女。独身。
お酒と仕事と下ネタと、人生を豊かにしてくれるカルチャーが大好き。
もと「こじらせ」で小デブ。関西在住。
愛と笑い溢れる世界になるように、今日も空きっ腹でビールをイッキ飲み。
一番大事なものは健康。

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