ちょっと嫌いです。こにくです。
こんにちは!
先日、Facebookでネットサーフィンをしていた際にこんな記事を見つけました。
→女子大生悩む、「どうしたら親友できますか」
http://toyokeizai.net/articles/-/68673
女子大生やなんて、それこそ親友になりうる友達なんか人生で一番できやすい年代なんじゃないかと思いますが、どうやら悩んでらっしゃるご様子ですね。
しかしこにく、誤解を恐れず言っちゃいますと、
「自分は友達がいない」と安易に言う人が嫌いです。
だってまず、目の前のアタシはほないったいあんたの何やねん、と思ってしまうし。
まあしかし、それもその人が定義する「親友」「友達」がいったいどういう存在なのか、
それによるところが大きいですので、一概には言えないですけども。
というわけで、先日、友達に関する記事を書きましたが、
それに引き続き、こにく的「友達」考を本日もお送りしたいと思います。
そもそも友達ってなんなのか
みなさんも、一度くらいは考えたことがあるんじゃないでしょうか。
「友達」ってなんなのか。
自分は、友達だって思ってたのに、相手はそうじゃなかったとか、
自分は大して興味がなかったのにやたら好かれちゃって、いつのまにか長く一緒にいるな、とか、
どうにもこうにも離れられない腐れ縁だとか、
基本的に、男女関係も友人関係もそんなに大きく変わらないとこにくは思っているので、
(全く別だと言う方も、もちろんいらっしゃるでしょうけども)
いろんな意味での「裏切り」「離別」は、そこここにあると思います。
ただ、やっぱり「大人になると友達は減る」ってよく言いますね。
これはこにくは事実だと思います。
やっぱり、学生時代は、友達になるために会う時間も場所もアクティビティも
きちんと確保されていたわけやし、
言うなれば「大人になったらなかなか友達でけへんのやから、いまのうちにしっかり作っとけよ」という時代だったとも言えるかも。
「学生時代の友人は格別」とも言いますもんね。
しかしですな、こにく、ふと考えると、小、中、高、大学と、
学生時代の友達がいまどれだけ仲良く続いているかって考えたとき、
マジで片手が余るくらいしか、アクティブな関係の人っていませんでした。
SNSですらつながっていない。
なんなら、友達申請しても承認してくれない!(爆)
いやー。
悲しいもんです。
しかし、それはそれで、こにくの生き方に問題があったとも言えるし、
生活もコミュニティも人生観も職種も住む土地も違うわけで、
それでいうと、つながってる人たちこそ、奇跡かもしれません。
とくに女性は、結婚して育児が始まると、自分の自由な時間なんて、ほんとになくなってしまうもんね。
自然と、お誘いもなくなるし、こちら(独身組)としても、なかなかお声がけしにくくなる。
共通の話題もなくなってくるし、リアルに生活のために生きざるを得ない時もあるやろうから、一緒にいるメリットがない。
なので、こにくとしては「そもそも、友達はなくなっていくもの」やと思うのです。
だからこそ、冒頭の記事の名越先生の言うように、「親友」なんて、気づいたら何年も経っていて、にも関わらず相変わらず心地よく一緒にいるという、ある程度の時間経過の後の結果論でしかないと思います。
だから、得難いものであることは確か。
でもやっぱりこにくは「自分は友達(親友)がいない」って言う人には
つい眉をひそめてしまいます。
だって、大人になったら「友達」は増えへんけど、「別の存在」は絶対増やせると思うから。
「親友」の意味は変わっていく
冒頭の女子大生は、「親友」を「何か困ったときに相談できたり、何でも隠さず話せる」存在というふうに定義づけているようです。
しかしですな、こにく、思うのですけども、
みなさん、そんなに、なんでもかんでも誰かに聞いてほしかったり、包み隠さず話したいんでしょうかね??
いや、そらね、もちろん、溜め込んだモヤモヤを、ついこないだこにくだってさんちゃんに聞いてもらいましたよ。
そんで、ものすごいすっきりして、感謝感謝でありましたし、
そういう存在、いればいるに超したことはないし、
それはきっと、あなたの日々や人生をとても明るく力強いものにするはずです。
しかしですな、こにく、大人になると、子供の頃のようになんでもかんでも包み隠さず友達に相談、とかって、なくなっていくんじゃないかと思っていて。
つまり、大人なんやから、ある程度自分のことは自分で解決せねばならない、
そしてさらに、友達に相談したところでどうにもならないような問題が大人になると山積みなる、ということです。
たとえば、自分の仕事のことや、就職やら転職やら。
男関係、女関係、結婚、離婚、育児、介護や親の死、友人の死、自分の健康問題、経済的な問題、起業、廃業などなどなど。
慰めたり気晴らしはできても、ぶっちゃけそんなものには「友達の存在」はそこまで必要なかったりせーへん??
必要なのは、もっとリアルな「解決策」やったりするんとちゃうやろか。
そういう意味で言うと、冒頭の女子大生が「親友」を「何か困ったときに相談できたり、何でも隠さず話せる存在」と定義づけているのであれば、
歳を取れば取るほど、「親友がほしい」という気持ちは裏切られてゆくことになりますね。
だって、友達に話してもどーしょもない問題ばっかり降ってくるねんもん。
大人になるということは。
さらに、ちょっと意地悪な見方をすると、
「じゃああなたの定義する『親友』は、あなたが困ったときに助けてくれる人という意味であって、そうでないときは用無しなんか?」ということになる。
「一緒に楽しむ」存在は「親友」ではないんか?と。
サークルに入って、仲良しは十人以上もできたと言うてはる彼女、
そんなん、それで充分やないかと、思ったりもします。
つまり、大人になれはなるほど「親友」の意味や存在意義は変わっていくということです。
長い時間いっしょにいて「親友だ」といえる友達がいる人は、
なぜその人が、あなたにとって「親友」なのか、という理由、
きっと、若い頃のそれとは違っているんじゃないかと、こにくは思います。
でもやっぱり、相談ができたり、なにも隠さずに話ができたりする存在が欲しいという気持ち、もちろんこにくもわからないわけじゃない。
だれにも頼らず生きていくなんて、なんとも悲しく味気なく孤独な人生。
だから「困ったとき相談できる親友」大事です。
そして、前述のようにそれが得難いものだということも、わかります。
でも、親友は得られずとも、大人になったら得られるもの、
「親友」に負けずとも劣らない存在があるとこにくは思うのです。
それは「仲間」。
「友達」とは似て非なるもの
「友達」「親友」「恋人」など、自分の交友関係において
だれがどうポジショニングされているか、何がどう違うのか、
どのくらいの深さの付き合いをどう定義するのか、
そのあたりは人それぞれ違うと思うのだけど、
こにく、「親友」と呼べるほどの友達は確かに多くはないけど
でも「仲間」には、いま恵まれていると思うのです。
そして、思春期の頃なんかに、女の子との人間関係にかなり苦心した過去もあって、
「仲間」がたくさんできたのは大人になってからです。
「仲間」って、「友達」とはまた少し違うような気もします。
それは、多くの場合は仕事がきっかけで、いっしょに働いて苦労をともにしたとか、
達成すべき目標に向かって一緒に走ったとか、
「友達」ほどのカジュアルさや甘えはないのだけれども、
しかし「親友」レベルの刺激やパワーやアイデアをくれる。
そして、その関係は、決して一方通行では成り立たなくて、
自分からも、刺激やパワーやアイデアをお伝えせんとあかん関係。
ちゃんとイーブンで、Win-Winじゃなきゃいけない。
ギブアンドテイクじゃないと成り立たない。
すてきな緊張感があって、こにくはこの「仲間」たちが大好きやねん!
これ、こにく、大人だからこそ持てるものなんとちゃうやろか、と思うねんなー。
そしてこれ、いい恋愛をするために必要なスタンスともまったくおなじ!
だから、一生懸命生きてたら、きちんとまわりに感謝してたら、
ぜったい「仲間」って、できるはずやと、こにくは思っているのです。
もしできないのであれば、相手にきっと、求めすぎてる。
これもまた、恋愛にも共通するよね。
一人の男に何もかも、「(自分にとって都合良く)完璧な存在」であることを求めるという、不毛な願望とまったく同じやなって思うのです。
目の前のひとりひとりをきちんと見たとき、
一人にひとつ素敵な部分があったらそれできっと充分で、
そこから小さなつながりが生まれて、仲間になっていく。
そこからきっと「親友」になっていく人が、スクリーニングされていくと、思っておるのです。
閉じてるのはあなたのほうかも
こにく、人間関係はわりと流動的な方で、
好奇心のままに交流していくのでどんどんつながりはできていき、同時に切れてもいくのですが、そこも、あまり人にもモノにも執着心ってないみたいなので、離別もそんなに怖くはありません。
まあ、見方を変えればむっちゃドライで冷たい奴かもしれへんけど…(汗)。
でも、関係の浅いor深いがあったとしてもやっぱり友達って人生観、生活習慣、仕事、交友関係、趣味など、
大きくはライフスタイルの変化によって、自然と沙汰されていってしまうもの。
しかし、だからといって、悲観的になる必要はなくて、
新しい出会いは自分次第で、十分にこの先も用意されているんやから、
こにくが思うのは、大事なのは「友達がたくさんいる必要はない。ただ、困ったときに『助けてください』と言える関係性をきちんとつなげておく」ということやと、思うのです。
人っていうのは、本当に困っている人に「助けてください」とお願いされたら、
そない邪険にできない優しい生き物やと、こにくは思います。
だからこそ、「しゃーない、助けたろ」と思ってもらえるように、
「もらいっぱなし」じゃなくて、こちらからも相手にすてきなものを差し上げてないと、あかんよね。
それが前述のように「仲間」として関係が築かれるということ。
そのために必要なのは、まず自分が相手を好きになっちゃうってことです。
また、自分も、なかなか上手に人に助けを求めるってできひんのやけど、
そんな時こそ誠実に、真摯に「助けてください」と言える勇気を持つように、
生きていかねばならんなと、思うわけです。
かつて大ヒットした「SEX AND THE CITY」、
当時にしては過激な内容や華やかなファッションが話題だったけど、
でもこにく、あのドラマの最大の魅力は、
ええ歳した大人の女4人の友情が描かれてたことなんちゃうかなと思うのです。
彼女たちは、「親友」であり、「仲間」やなって、思うもん。
きっとみんなもうらやましく思ってしまうような関係がそこには描かれてたんとちゃうやろか。
でも、あなたがそう思ってないだけで、
あの子もあの子も隣の席のあの人も、実はあなたにすっごく興味があって、
ほんとは未来の大親友候補かもしれへんで?
あなたがキャリーならば、サマンサやミランダやシャーロットは、あなたが気づいてないだけで、すでにいるのかもしれないってこと。
親友も仲間も恋人も、あなたがしっかり世界に対峙して、目を見開いて見たときに
思ってもないところにいてることに気づくかも!
きっかけはきっと、あなたの勇気と好奇心やで!
では、また!
この記事を書いた人

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遅咲きモテ系30代・広告クリエイティブ職のわりと肉食な女。独身。
お酒と仕事と下ネタと、人生を豊かにしてくれるカルチャーが大好き。
もと「こじらせ」で小デブ。関西在住。
愛と笑い溢れる世界になるように、今日も空きっ腹でビールをイッキ飲み。
一番大事なものは健康。
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