こんにちは。フリーライターの真崎です。
私が就職活動をしたのは2011年~2013年。
いわゆる「就職氷河期」なんてネーミングで今思えば無駄に不安を煽られていた世代です。
煽られていた不安の中の1つに、こんなものがありました。
“新卒は3年以上仕事を続けられないと、社会人として使い物にならないから転職できない。つまり3年以内の退職はいろんな意味で「終わり」である。”
素直なんで、真に受けていました。
だから、新卒で入った会社を2か月でクビになった時は人生終わったと思いました。
私の職歴
元々大学生時代から子ども教育関連の活動をしていたので、社会人になってもその関係の仕事をしたいと思っていました。
そして、2013年に卒業して就職。
その後は以下です。
2013年4月 1社目入社
2013年6月 1社目クビ
2013年8月 2社目入社
2013年10月 2社目退職
2013年11月 3社目入社
2015年3月 3社目退職
2015年4月 フリーランス(≠無職)
「当分組織に属するのはいいや」と思ってフリーとしての活動をボチボチとしています。
「また属したくなったらそのタイミングで属そう」ぐらいの気持ちでゆったり構えられるようになったのは、この2年間挫折と挫折と挫折を繰り返したからな気がしています。
そう思えるまでは、個人的には長くて、あとはわりときつかったです。
社会人生活を通して「死にたくないけど消えたい」という言葉の意味が痛いほど分かるようになりました。
1社目をクビ
社長とふたりの会社だったので、ご迷惑がかかることを考えるとあまり書けません。
とりあえず「これ以上雇えないので転職して下さい」という文面があったので、たぶんクビだったんだと思います。
あの時ほど強く他人を憎んだ時は後にも先にもなかったと思います。
「人を憎んで生きることは疲れる」というとても大切な学びになりました。
当時の社長には謝りたいことがいろいろあります。
2社目で半ノイローゼ
クビになった後1か月間アパートの自室で引きこもって暮らしました。
毎日映画をたくさん見て本をたくさん読んで寝て食べてお風呂入って寝る生活でした。
飽きたので転職活動をすることにしました。
そしたら3週間で転職先が決まったので『「3年働かないと転職できない」って最初に言い出したやつ風邪引け』って思いました。
2社目も教育関連で、「学校環境に適応できずに学校に行けなくなった子を、学校ひいては社会に適応させてあげる支援をしましょう」という感じの会社だったと思います。
今となっては「学校に行けようが行けまいがどっちでもいい」という考えになりましたが、当時は「なるほどとても大切で有意義な理念と仕事だ」と思っていました。
中略すると、入社1か月後くらいから仕事に行くのが苦痛になりました。
1つのやらかしを機に全社での私の評価が最悪なものとなり、「あなたは傲慢で過信で礼儀知らずで向上心がなくて気遣いが出来なくて頭の回転が遅くて報連相がなっていなくて現在会社の最底辺。あなたが変わるには全ての過信を捨て自分の悪いところをすべて認めたうえでそれらを直し自分を変える努力をする必要がある」というお言葉を連日いただくようになりました。
そしたら、毎日「死にたい」と思うようになりました。
死ぬ前に辞めようと思い、3か月目にさしかかったぐらいに辞めました。
3社目で初めて勤続2か月超え、周りに褒められる
退職から3週間で転職先が決まりました。
『「3年働かないと転職できない」って最初に言い出したやつカードの審査落ちろ』って思いました。
その会社も教育関連で、その会社の社長は私がずっとネット上でブログを拝見していて「この方の考え方とても共感するな」「こんな方と一緒に働きたいな」と思っている方だったので、採用の電話をその社長からいただいた時嬉しさのあまり奇声を発した記憶があります。
同じく「学校に行っていない子」に関わる仕事だったのですが、社長は「不登校でも別にいい」という考え方だったので、とても共感できました。
今まで仕事が長続きしたことがなく、メンタルの強くない私が「1年半」勤めることができたのは、環境に恵まれていたからだと思っています。
勤続3か月を過ぎたあたりから
「真崎、もう3か月も働いているんだね!」
「すごいじゃん!」
「最長記録!」
「社会適合!」
と周りから褒められるようになってとっても嬉しかったです。
それでも辞めたのは
教育や学習指導、不登校支援というところに関わることに、自分自身がもやもやとした気持ちを抱くようになり、「私が子どもに対して「してあげたいこと」なんてなにもない気がしてきた」と想い始めました。
そんな折、あるひとりのライターの方に出会います。
その時の「「書く」を仕事にできるんだ」という純粋な驚きと感動は、大学時代から「書く」が大好きで、ブログやコラムを書いてきた私を突き動かすには十分な動機となった気がします。
2年間で、私は自分自身に「社会不適合」のレッテルを貼るようになりました。
それは必ずしもネガティブな側面だけではなく、「やりたい事をやりたい」「やりたくない事はやりたくない」「そして拒否反応が出てやらない」「契約(特にお金)関係だけで人と繋がりたくない」「同じところに留まり続けられない」「自分のことは自分で決めたい」という、組織にいるにはわがまますぎる自分の性格を、今の「社会」という枠組みの中にうまくあてはめられなかったからです。
なので、「書く」を仕事にできることを知った私は、組織に属さない形の「フリーライター」をやっていこうと思いました。
そして退職、今に至ります。
今の生活
直観ベース、なんのビジョンも計画性もないまま仕事を辞めてフリーライターになりましたが、ありがたいことに紹介ベースでいくつか仕事をやらせてもらっています。こうして自分の言葉でコラムを書けることが大きな喜びです。
生計を立てる手段として朝キャバ嬢もしていますが、2か月以内くらいにはライターのみで生計を立ててさっさとお水の世界から足を洗いたいと思っています。
特になにかを伝えたいこともないですが
・会社勤め以外にもいろんな世界があった
・いろいろなんとかなる
・3年働かなくても転職できる
総じてそんな感じです。
読んで下さりありがとうございました。
この記事を書いた人

- フリーライターの真崎。25歳。独身。京都出身池袋在住。朝キャバ嬢。社会人生活2年で自らの「組織不適合」を悟り、所属を辞めている最中です。「京都の女性=上品で高飛車で腹黒」という関東でのイメージを払拭することが1つの使命。
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2件のコメント
社会不適合者、社会適合者って心の余裕が歩かないかで決まると思います。
自分も限界で心の余裕がないため社会不適合者です。
社内研修半年、現場にでて約1年5つ目の現場で安らぎを持てず、毎日寝る前、空き時間に首宣告されたらと調べる日々です。
フリーライターとして成功しているということは才能のある場所が違っていただけだと思います。
ライターなら解雇もエピソードの一つに使えます。
転職に対する希望が湧いてきました。ありがとうございました。
自分と同じ卒業年だったので気になりました
私は2013年4月食品会社入社→9月退職→7ヶ月無職→2014年5月会計事務所(バイト)→12月医療法人経理→2016年11月会計事務所→現在精神面での無断欠勤を繰り返し解雇の危機(まだ試用期間中のため)です
私は今後どうすればいいのか見当もつきません。
普通の人が当たり前に出来ることが出来ず、もう死にたいです。
院の研究室にいる時も頭おかしい、アスペルガー、報連相が出来ない、お前のしてる事は金をドブに捨てている事だとよく言われました。
フリーでやっていけるだけの頭とコネがあれば・・・と何度も考えましたが、そんなことものは自分にはありませんでした。フリーライターに飛び込める真崎さんは凄いです。
私の京都人のイメージは本音と建前の使い分けですね。いつでも頼ってウエルカムと普段言ってるのにいざ頼んでみたら「えっ・・」という態度を取る人が多かったので・・・